旅するデザイナーブログ

Wandering_Designer’s blog

世界中どこを旅していてもきちんと働けることを目指して12年。今では好きな時に好きな場所で仕事をしています。しかし、皆が憧れるような「旅するような自由な時間」を持つどころか「いつでも仕事」「いつでも子育て」という状態で、息苦しい毎日。後回しにしていた「やりたいこと・言いたいこと」にも少し力を注いでみよう。それが健全な生活な第一歩かもしれない、と思い立ち、記録としてブログを始めてみることにしました。

ガラス玉が欲しい人にダイヤモンドを売ろうとしていたことに気づいた。

「どうしたら、この仕事の価値が分かってもらえるだろう」「どうしたら、高条件で取引できるだろうか?」と常々考えてきました。

私の仕事の価値を分かってくれて、よい条件で取引してくださるお客様がいる中で、同じものを提供しているにも関わらず、「もっと安くして」と言う方もいるこの状況をなんとかしたいと思ったからです。

安くしてと言う方は、価値が分かってないから、安易に“安くして”と言うのだろうと考え、「請求額は、作業時間+技術を身につけために使ってきた時間+設備費用+提供するデザインへの価値」から成ることを伝えるようにしてきたつもりです。

このことについて10年くらい試行錯誤してきたのだけど、どうもうまく行かない・・・。

 

しかし、昨晩(ぼー・・・っと)漫画を読んでて腑に落ちるセリフがありました。

物の物価をよく勉強しろ。お前が持ち込んだ物は全て贅沢品だ。

どれくらいの値段で扱われているのか知らないと市場を混乱させることになる。

(漫画:本好きの下克上 5刊35ページ)

 

 

 

 私が提供しているデザインは「贅沢品」にあたるのだと、ストンと認識+納得できたのです。なぜ、今までそういう風に考えられなかったのかが不思議でなりません。

例えば、イベント告知だったら、白い紙に黒い文字で、とりあえず読める文字サイズで、開催日時・場所・内容が書いてあれば、情報は伝わります。フォントも画像も汚くて、読みにくく、何を伝えたいかさっぱり分からないデザインであっても、それで満足で、若干色がついていれば(ちょっと写真が入っている等)御の字だと思っている人も多い。

そんな中、私が提供しているものは、機能面と美しさを兼ね備えたもので、細部まで創り込まれていて、最大限分かりやすく、且つ、美しく見せるために様々な工夫が施されています。

ガラス玉(消耗品)が欲しい人にダイヤモンド(贅沢品)を売ろうとしていたのだ、と気づいたんです。

どんなに価値あるものだと分かっていても、元々ほしいものがガラス玉なら、ガラス玉を買うだけの予算しかないし、ガラス玉が手に入れば満足なのだ、ということ。

相手はガラス玉がほしいけれど、私はガラス玉が嫌いでダイヤモンドしか売りたくない。

だから、ダイヤモンドをガラス玉と同額で売る・・・という、謎な状態になってしまっていたのだ、と腑に落ちたのです。

ガラス玉の価格でダイヤモンドが手に入れば、相手は満足でしょう。

今はガラス玉がほしいけれど、いつかダイヤモンドが欲しいと思った時に、私から買ってほしい・・・なんて、私自身も打算的な考えで「これは戦略」だと、納得しようとしている部分もありました。

けれど、今ガラス玉を必要としている人も、今後ダイヤモンドを買うなら、その時は専門店に行くことでしょう。

私がやってきたことは、市場を混乱させるだけでしかなかった。

今まで、特に力を入れて「営業」はしてこず、口コミや紹介などからお客様を得てきました。間口はいつも広かった。

しかし、私がやるべきなのは、単なる広い間口ではなく、ダイヤモンドを求めている人にとって利用しやすい間口を作ること。それが、私とお客様の双方が、気持ちよく取引できる方法だと、覚悟を決めました。

 

これからの方針について、光が見えてきたように思えた昨晩。

未来の自分が、この日のことを思い出せるように、書き留めます。

 

※ガラス玉が悪いという訳ではありません。限りある予算の中で、ダイヤモンドを一つ買うより、ガラス玉がたくさん必要ということも多々ありますので。

 

断れなかった仕事をついに断れた。

私は、フリーランスグラフィックデザインの仕事をしています。

先日、ついに、断りにくい仕事を断ることができました。

通常私は、ランディングページデザインは、5万円前後、縦に長〜いボリュームのあるものなら、10万円〜20万円ほどで対応しています。

しかし、当たり前のように3万円で!という方がいらっしゃって、当たり前に言われすぎて・・・断るのも面倒くさいところもあり、断るタイミングを失っていた案件がありました。

先日新たなな依頼が入りましたが「御社から数回依頼を請け、作業ボリュームやスケジュール感を把握でき、これまでの内容ですと10万円前後、スケジュールは今迄の3倍ほどかかります。」とお伝えしました。

そもそも、私がこのお客様にだけ、この謎価格で請けていたことは、きちんとした支払とスケジュールを確保してくださっている他のお客様に対して失礼だったわけですし、この謎価格の仕事の対応で、取り逃がしていた好条件のお仕事もありました。

3万円なら3万円なりのデザインと対応をすればよいのかもしれませんが、手をぬいて、適当なデザインを提出することもできず、、、本当に費用に対して過ぎたデザインを提出していました。

作成中も、何のためにこの仕事をやっているのか、自問自動しながらストレスを抱えていましたし、こういう私の対応が“フリーランスが稼ぎにくいという悪循環”を作っている元凶でもあったのだから、本来の条件をきちんとお伝えできたことに、ほっとしているところです。

なんだか、断ったことに対して自身に言い訳するようなことばかり書いてしまいましたが、私自身、この対応は誇るべきだと信じて進みたいです。

 

クソ商品にデザインを提供するのは、もううんざり。

私は、フリーランスグラフィックデザインの仕事をしています。

グラフィックデザインの仕事って何?としばしば質問されることがあります。

簡単に説明するなら「モノやコトを、視覚的な要素(写真・絵・文字・色など)を使って表現し、相手に伝える仕事」とでも言いましょうか。具体的には、チラシ・看板・冊子・WEBデザイン、商品パッケージなどで、多岐に渡ります。

発信したいモノやコトがあるけれど、視覚的に発信する技術を持たない人(企業)へ、デザインを提供するのが私の仕事です。

 

しかし、只今私、仕事で受けるイライラダメージでオーバーヒート中。

何年もの間、あまりに中身のないクソ商品やサービスにデザインを提供し続けてきたからなのではと思っているところです・・・。

 

本来、グラフィックデザインは、モノやコトを正しく伝えるための手段ですが、最近は、商品やサービス自体に価値がない(薄い)ので、価値を持たせる(底上げする)手段としてデザインが使われることが多い気がします。こういう仕事は、私に精神的なダメージをボディーブローのようにじわじわ与えます。

 

価値を上乗せするためのデザインが増えた原因に、2つ心当たりがあります。

ひとつめは、大企業系の商品(車・電化製品・家など)は、技術がほぼ均一化してきており、イメージやデザインで差異をつけるしか商品に違いを出しにくくなってきていること。

ふたつめは、ITが身近になったこと・印刷費が安価になってきたこと・起業へのハードルが下がってきたことなどから、誰もが商品やサービスの提供側になれるようになり、安直な販売行動が多いこと。

 

特に2つ目の原因からは、目に余ることが多くあります。

 

「他との差別化を計りたいので、デザインをお願いします」

・・・当たり前のように言う方が多いですが、そもそも他と差別化できる商品を作ったり、売ったりしてください。

仕入元が同じで、売る人が違う。売り方が違う。だから見た目も違うけれど、中身は同じが多すぎる。簡単に手に入れて、簡単に転売する商法が多すぎる。

 

「イメージ戦略に力をいれたい」

・・・いやいや、中身で勝負してください。

価値の薄い(あるいは無い)商品をデザインで着飾らせて、世に送り出す。そればっかりなんですよ。なんでもかんでもデザインで解決しようとしないでください。

作っている私もイライラしますが、一消費者としての私も、そいうい商品に囲まれていると思うと寒気がします。

 

 「“伝え方(コピー・文章)”と“見せ方(デザイン)”を工夫して売り上げ増したい」

・・・確かに。魅力ある文章とデザインで商品を説明するのは、重要です。

本当に価値あるものでも、きちんと正しく伝えなければ価値は伝わらないし、適切に発信して、情報をきちんと受け取ってもらえなければ、無いものも同然。だから私みたいな職業があるのだと思っています。

でもね・・・クソ商品に無理矢理価値とかブランドとか付けて、詐欺ギリギリの線での、過大広告はやめてください。

最近はブランド化のために商品にストーリーを組み込ませて魅せるのが流行ってるけれど、本当に良い商品というのは、本当にそれ自体にストーリーがあるものなんです。変なコンサルが入って、それっぽいストーリーを作ったりしなくてもね。

昔からある安っぽい「貴方だけ商法」「限定商法」「地域一番商法」「予約が取れにくい店商法」も未だ不滅。どうして、商品自体で勝負しようするところがこんなにも少ないのか・・・。

 

そして、最近は、広告で使用する文章のチェックが消費者庁的に厳しくなっているので、それを補うためのデザインを求めるところも多い。例えば、美容系だと「効果有り」とは書けず、「効果が期待出来ます」とか「個人の主観です」とか、逃げのある文章表現になるわけだけれど、「効果あり」と見られたいがため、グラフィックデザイン(絵)で「効果あり」の表現を求めるということ。

だ〜か〜ら〜。そもそも、文章表現のチェックが厳しくなったのって、受け手にあらぬ期待をかけ、実効果との差異が問題になった(ある意味「詐欺」だった)からで、文字で書けない分、今度はグラフィックでなんとかしようというのは、どんだけせこいんですか?(そいうせこさが「賢い工夫」的に扱われてたりもする。)

 

さらには、クソ商品を扱うところはデザイン費を買い叩いてくる傾向有り・・・いやいやいやいや、あなたの扱うクソ商品にデザインで価値が付いて売り上げが上がったのだから、それって完全にデザインの価値ですよね。逆にもっと支払ってください。

まぁ、クソ商品を扱おうという心根ですから、安く手に入れて高く売ることが最重要なのでしょう。目的のために手段を選ばず。ある意味大切です。商品の価値やデザインがとやかくより、もっと大切なことがあるのでしょう。

胡散臭さを感じながら、胡散臭くないデザインを作る私。

只今、イライラダメージが溜まってオーバーヒート中デス。

 

 

 

月収100万円超えを子育てしながら実労働で稼ぐことが、いかに大変か。もうへとへと。

私は0歳と2歳の子供を育てながら、フリーランスグラフィックデザインの仕事をしています。

元々我が家は、夫より私の方が収入が倍ほどありました。しかし、稼ぎ頭の私が妊娠・出産・子育て(保育園に入る前)で、収入が極端に減ったことで、我が家の家計は崩壊。貯金をこれでもかというほど切り崩しました。

次女が保育園に入ることを機に、貯金の穴埋めと、今後の展望のため、目一杯動こうと張り切っていたのは、半年前。

 

そして今、へとへとになった私がいます。

 

妊娠・出産・子育て・再妊娠・再出産やらで疲労困憊な身体。ここ数年、毎晩子供都合で3回ほど起こされ、慢性的な睡眠不足。

子供は体調を崩すたびに保育園を休み(=働けない)、保育園に行きたくないとダダをコネ、連れて行くのが遅くなったりするワケで、全ての物事がスケジュール通りにすすみません(これは地味にストレス)。

両親は遠くに住んでいるし、夫はそういう子供の問題のために、私の代わりに自分が仕事を犠牲にしてみようなど、考えたこともないでしょう。なぜなら、私がフリーランスで、時間を調整できると思っているから。

世の中では、母への理想(母になっても輝く女性・きちんとした母親・愛のある家庭・子供への躾と教育)・働く女性への理想(自立した女性・男女均等)が唱われています。それらはなんだかキラキラ輝いて見えます。

私自身、子育ては大変だけど自分を育てることに繋がる・子供の特性を見て伸ばすべきところ伸ばしたい・子供がいるからと甘んじず、社会人としてきちんとした対応をしたい・時間はないのではない作るものだ・自分自身をプロデュースする必要性があるなど理想が巡っていました。そして、私はそれらを全て実行しようとした。

 

でも、これ、ムリゲーだったんです。

 

子供が保育園に行っている間が私の働ける時間です。会社員でいう「残業」の時間は確保できません。子供が居なかったころは、睡眠時間を削るということもできましたが、現状すでに削られている状態ですから、睡眠時間を当てにする事もできません。

振り回されるスケジュールの中、確保できた少ない時間で、多くのことを達成をする必要がありました。丁寧な仕事が私の売りですから、削れる作業工程は削れるだけ削るけれど、品質は落とさない。

その結果、お客様に満足いただき、月収200万円に迫る収入を得る事ができました。子供への手作り料理や、密なコミュニケーション、特性に合わせた習い事へも通わせることもできました。

 

「やればできる!」そう思ったのもつかの間・・・。

仕事にミスが出るようになってきました。頭の中がぐちゃぐちゃなんです。

そして、家の中もぐちゃぐちゃになってしまいました。

家の中を裸足で歩けば足裏に埃がつき、洗うべき食器は溜まり、切れた電球はそのままで、洗濯物は洗うものも洗われたものも山となり、食事はコンビニに頼り、スケジュールは混乱し、病気になり、化粧をせずにぼろぼろの身なりで出かける。

これが月収100万円超えの生活・・・。ハウスキーピングを依頼してもよかったのでしょうが、今すぐ対応すべきこと以外に、何かやる(電話する)ことすらおっくうなわけです。

子供が泣いてスケジュールがズレれると今まで以上にイライラする。

 

結局私は何がしたかったのか。

 

確かにお金は必要ですが、稼ぎ続けられなければ、意味はありません。フリーランスの仕事では「ミスが出る」というのは、仕事を失う大きな原因です。仕事を失えば、稼ぎ続けることはできません。どういう状態の時にミスがでるのか・・・考えてみれば、いつもそれは、余裕の無い状態の時でした。

どのようにしたら、体力的にも精神的にも金銭的にも余裕をもてるのだろう?と考え、実行に移すのが今の課題です。少なくとも「子育てや家事を完璧に行いながら、顧客満足を得ながら、実労働で月収100万円超えするような動き方ではない」ことは分かりました。

 

そういう訳で、一度自分をリセットしたいと思い、このブログを始めました。こうやって自分の気持ちを文字にすることは、自分を見直す時間になります。

そして、フリーランスのメリットである「時間の調整しやすさ」をお客様や子供のためだけでなく、自分のためにも使ってみよう。お客さまや子供へ向けていた「丁寧」を自分に向けてみる練習もしてみたいと思っています。

大好きな美味しいものを食べたり、外を巡ったり、考えを整理したり、自分を整えたり、、、「丁寧」を自分にも分けてみたいんです。

 

どうか、今後の私がうまくいきますように。

そして、全てのママたちが気持ちよく生きられますように。

世界的なフェアトレードも結構だけど、そもそも国内でフェアなトレードしてますか?

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フェアトレード」このワードを耳にすることが多くなりました。これは、途上国からの輸入に対して適正な価格と条件で取引する貿易のしくみを指すワードです。しかし「良いものを安く」を“ヨシ”とす日本国内は、似たような原因による問題に犯されていて、それが暮らしにくさに繋がっていると思えてなりません。

 

開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」をいいます。

www.fairtrade-jp.org

 

フェアなトレードはフリーランスにとって死活問題

途上国だろうと日本国内だろうと、生産者の労働環境やきちんとした生活水準が保たれなければ、品質の良いものを作り続けていくことは不可能です。

これは「フリーランス・ママ・デザイナー」としても、自分ごとです。

本当に「フリーランスに頼むと安くできる」と考える人が多く、さらに「ママ」と付くともっと無理を言えると考えている人が多いのです。正にハイエナのように集まってきます。

フリーランスに依頼することで、中間マージンが不要な分、確かに安くなる場合はあります。しかし、そういう意味ではないのです。

フリーランス? 収入不安定で困ってるんでしょ? 安くやってよ。あなたも少しでもお金が入ればラッキーだし、ウチとしても安く買えるならうれしい。WINWINでしょ。』と、そういう意味なわけです。

さらに「ママ」が付くと、『普通のフリーランスより働ける時間も短いだろうし、より仕事を請けにくい状況だよね。困ってるよね?  あるだけありがたいでしょ? パパの稼ぎもあるんだし、安くても生活できるでしょ。だから、もっと安くやってよ』とそんな風なわけです。

最近は社員を持たず、フリーランスのリモート作業のメリットが唱われ始めています。そんな中、「ママフリーランスは、安く使える上に、仕事がきちんとしていて◎」なんて記事を見かけたりする状態。お褒め頂くのは結構ですが、仕事がきちんとしていて◎なら、きちんとお金を払ってください。

 

国際的なフェアトレードが叫ばれるのと同じ理由で、日本国内でも、安価すぎる仕事の発注が、制作側の労働環境や生活水準を乱し、健康を犯し、品質のよい商品を提供できなくなることに直結していることを、どれだけ認識できているのか?

認識できているけど、フリーランスを弱者(そもそも働き方の違いであり、どちらかが強者・弱者という考えは間違っている)とみなし、弱者に横暴となることもいとわない人とは付き合いたくないし、認識もできない想像力が欠けている人とも付き合いたくありません。

そういう横暴な人が多い社会。そして、無意識にそうしている人(想像力の無い人)が多い社会。それが日本。暮らしにくいはずです。

(私のようなフリーランスだけでなく、最低賃金のウエイターに高級料亭の接客を課したり、賃金の上乗せなく次々業務が増えるコンビニ店員にも言えると思っています。)

 

フリーランスに最低報酬設定は必要か?

上記問題から、多様な働き方促す政府はフリーランスに最低報酬設定を検討する立場を取っています。

www.nikkei.com

フェアトレードが大切だと、とやかく書きましたが、適正な価格と条件で取引することは、モラルの問題。私は最低報酬設定自体に、快く賛成はしていません。

確かに最低報酬が設定されれば、奴隷のように扱われているフリーランスを救うことがができるでしょう。しかし、サバイバルなフリーランスの世界で、戦略として「安価」という武器を使うことができなくなります。

最低報酬設定のある働き方であり営業戦略に枷がある働き方は、もはやフリーランスとは言えないように思えるのです。

最低賃金以下で請け負うことより、最低賃金以下で依頼してくることが問題です。「どの依頼主が何をいくらで依頼したか」が見える化され、積極的に発表される機会があれば、抑止力となるのでは、と考えてみたりします。

 

お願い:発注元および直請けの方へ

「いかに利益を生むか?」は資本主義である以上、重要なことです。しかし、当たり前のように値引き対応を求めるのではなく、右から左に流すだけで、無駄に中間マージンをとっている会社(きちんとディレクション/スケジュール管理してくれている中間は価値有りですが)を商流から外すことを注力してみてもらえませんか?何かあった場合の責任のなすり付け合いの為に、間に入る会社が多く必要だというのなら、しかたないのですが・・・。