ガラス玉が欲しい人にダイヤモンドを売ろうとしていたことに気づいた。
「どうしたら、この仕事の価値が分かってもらえるだろう」「どうしたら、高条件で取引できるだろうか?」と常々考えてきました。
私の仕事の価値を分かってくれて、よい条件で取引してくださるお客様がいる中で、同じものを提供しているにも関わらず、「もっと安くして」と言う方もいるこの状況をなんとかしたいと思ったからです。
安くしてと言う方は、価値が分かってないから、安易に“安くして”と言うのだろうと考え、「請求額は、作業時間+技術を身につけために使ってきた時間+設備費用+提供するデザインへの価値」から成ることを伝えるようにしてきたつもりです。
このことについて10年くらい試行錯誤してきたのだけど、どうもうまく行かない・・・。
しかし、昨晩(ぼー・・・っと)漫画を読んでて腑に落ちるセリフがありました。
物の物価をよく勉強しろ。お前が持ち込んだ物は全て贅沢品だ。
どれくらいの値段で扱われているのか知らないと市場を混乱させることになる。
(漫画:本好きの下克上 5刊35ページ)
私が提供しているデザインは「贅沢品」にあたるのだと、ストンと認識+納得できたのです。なぜ、今までそういう風に考えられなかったのかが不思議でなりません。
例えば、イベント告知だったら、白い紙に黒い文字で、とりあえず読める文字サイズで、開催日時・場所・内容が書いてあれば、情報は伝わります。フォントも画像も汚くて、読みにくく、何を伝えたいかさっぱり分からないデザインであっても、それで満足で、若干色がついていれば(ちょっと写真が入っている等)御の字だと思っている人も多い。
そんな中、私が提供しているものは、機能面と美しさを兼ね備えたもので、細部まで創り込まれていて、最大限分かりやすく、且つ、美しく見せるために様々な工夫が施されています。
ガラス玉(消耗品)が欲しい人にダイヤモンド(贅沢品)を売ろうとしていたのだ、と気づいたんです。
どんなに価値あるものだと分かっていても、元々ほしいものがガラス玉なら、ガラス玉を買うだけの予算しかないし、ガラス玉が手に入れば満足なのだ、ということ。
相手はガラス玉がほしいけれど、私はガラス玉が嫌いでダイヤモンドしか売りたくない。
だから、ダイヤモンドをガラス玉と同額で売る・・・という、謎な状態になってしまっていたのだ、と腑に落ちたのです。
ガラス玉の価格でダイヤモンドが手に入れば、相手は満足でしょう。
今はガラス玉がほしいけれど、いつかダイヤモンドが欲しいと思った時に、私から買ってほしい・・・なんて、私自身も打算的な考えで「これは戦略」だと、納得しようとしている部分もありました。
けれど、今ガラス玉を必要としている人も、今後ダイヤモンドを買うなら、その時は専門店に行くことでしょう。
私がやってきたことは、市場を混乱させるだけでしかなかった。
今まで、特に力を入れて「営業」はしてこず、口コミや紹介などからお客様を得てきました。間口はいつも広かった。
しかし、私がやるべきなのは、単なる広い間口ではなく、ダイヤモンドを求めている人にとって利用しやすい間口を作ること。それが、私とお客様の双方が、気持ちよく取引できる方法だと、覚悟を決めました。
これからの方針について、光が見えてきたように思えた昨晩。
未来の自分が、この日のことを思い出せるように、書き留めます。
※ガラス玉が悪いという訳ではありません。限りある予算の中で、ダイヤモンドを一つ買うより、ガラス玉がたくさん必要ということも多々ありますので。